再び出会う
あれはいつだったろう。ひとつの季節かふたつの季節か。私はまだ小さな息子を連れていた。初めて会ったとき彼は、テントの外で宣伝用の看板にバンセンを通していた。一緒にしようと誘ってくれた。役立たずなんだと、大きな舞台の準備を尻目に外で、私の息子と遊びながら作業してくれた。
打ち上げの夜彼と町をただ歩いた。店も人家もない商業地帯、誰もいない町をただ歩いた。
最高のパートナー
今失いつつある。
それは唐突に
天使とやらの存在は何だか信じる気持ちにならないのであるが、突然予想もしないような幸福が舞い降りることがある。幸福になれていない貧乏性な私は、それ以上の意味をそこに見出さないよう注意しなければならない。
それでも、やはり私だけが、特別選ばれてここにいるような錯覚に陥る。
符号や暗号は既に期限切れだと思っていたのに、突然扉が開く。
この幸福感で、当分は何も要らない。清潔に、心豊かに、ガンバレル。
この夜が何の始まりでもないとしても、やっと開いた扉が、再び閉じたとしても、私のこの幸福は幻ではなかった。ありがとう。
心が暗闇の中にある人に呼びかけたい。
あなたの幸福の扉の鍵は掌の中にあるよ。いつかその扉が開く時があるよ。
あなたの心を開く勇気を出してみようよ。私もその勇気、出してみるわ。
繁栄と没落
山あいの小さな町に行商の男が辿り着いた。身なりは粗末で、町外れの小さな小屋に住みついた。どこから来たのか誰も素性も知らない男はやがて、あちこちの田圃を買い占めるようになる。金貸しを始めてみるみるその財産を増やす。
大きな屋敷を建て、使用人を何人も使って贅沢な暮らしをするようになる。美しい妻を迎え、娘をもうける。娘は婿をとり何不自由なく暮らしていた。
ところがこの娘は放蕩で淫乱なわがままな性格で、大人しい夫がいながら、学生や村の青年と色事を繰り返し、男遊びにふけるのであった。
娘は結婚していながら、他所の男の子どもを身籠もってしまう。元は素性が知れないとはいえ、今や町の名士となった家の娘が誰の子どもとも知れない赤ちゃんを産むわけにはいかない。秘密で、怪しい薬を手に入れ、堕胎を試みる。しかし出血性ショックで娘は命を落としてしまうのであった。
娘を亡くした当主は妻以外の女の人に生ませた息子を家に引き取り育てる。
そして、ある日、見知らぬ女に手を引かれた女の子がこの家を訪ねて来る。当主が生ませた女の子だと言い置いて、女は去って行く。
仕方なくその女の子を引き取ることにしたが、妻の手前正式な子どもとして育てるわけにいかず、息子の世話をする下女として家に置くことになる。
この一人息子はまた、十九歳で嫁をあてがうが、放蕩はやまず、山陰の温泉で芸者と心中する。列車を仕立てて遺体を連れ帰る。神経を病んでいたのだと言う。
一代で財産を成した一家には、もはや血を受け継ぐ者は残されていない。
当主が他所の女に生ませたという下女の少女のみである。この少女にはしかるべき財産を分与されたが、そのほかに財産を貰った血縁の者はやがて町を捨て大阪に出て映画を作るなどして、やはり散財したと言う。
小学生の頃、夏休みにラジオ体操をしていたのは、この広い屋敷の庭であった。黒い格子のはまった木戸がおどろおどろしく、門は既に朽ちようとしていた。
不吉な屋敷には、不似合いな朝のラジオ放送が響きわたる。
下女として引き取られた少女は美しく成長し、百姓の男と恋に落ちる。百姓の男は、男の子のいない一家の養子で肩身の狭い思いをしながら育った働き者の男であった。美しく薄倖な少女には百姓の仕事は向いておらず、男は随分庇うが、養父はその結婚を認めず、少女は離縁される。お腹には子どもを身籠もっていたのに。
百姓の男には、大柄で健康な新しい嫁がもらわれる。
この愛のない夫婦の第一子、嫡男が私の父、美しい前妻の非嫡出子が私の伯母であった。
読書レビュー~恋と言葉遣い~
キーワードから辿って来られると、失望させるので書名からの検索にかからないようにします。
読書感想文は昔から苦手で苦手で、夏休みの宿題の最後に残るものだったので、本筋?とか主題とかとはズレてると思います。
余り知らなかったけれど、結構話題の作品?男女がすれ違っていく、昔バージョンの君の名は、みたいな。と言っても昔バージョンの君の名は、は詳しく存じませんが。
愛し合っていながら、メールのやりとりで別れを決める男女。お互い恋していた人ではない相手と結婚を決め、男性には子どもまで出来る。国を跨いでの遠距離恋愛だったことで日本でうまく会えず、連絡をとれず、という設定で、このコミュニケーションツールが張り巡らされた現代のお話ですが、よく出来ています。
あーあの小説かな?と思われる方はここからストーリーに関連してます。←一応断ってみる。
3年後だかに、主人公がある女性と話していて、はっとカラクリに気づくのです。
リアリティー溢れるシーンです。
言葉遣いのtasteや雰囲気、っていうのは人によって違うし、親しい人なら文体がわかるのですよね。例えば話し言葉でも、仲良くしている人の口癖や独特の言葉遣いを無意識に真似している、ってありますよね。
強烈な言葉を選ぶ人については、その言葉がついウツルということもありますが、たいていの場合は親しかったり好きだったりする人の言葉遣いを真似してしまいます。
自分で好きな人の真似を無意識にしていて、はっとすることがありますが、人のことに気づくこともあります。この小説のこのシーンは、かなり切ないです。
もう一つ私が心にしみたテーマは、過去は変えられるか?ということです。明るい方へも悲しい方へも、未来から過去へ照射される出来事や思いによって、過去は全く別のものになる。過去を生きなおせるわけではないけれど、過去は書き換えられるのだということ。
私が生き辛く思っているこの現在にも、私の思ってもみない並行した世界があって、未来の私はそれを知ることもあるのかもしれない。そうだといい。
画像はお借りしたものです。