Parfait Amour

完全な愛。完璧な愛。

そんなものはこの世界に存在するわけはない。それがわかっているからこそ、人は求めるのかもしれない。
私も何処かに存在する完璧な愛を求めて、さまよい続けてきたのかもしれない。完璧な愛と言うと基督的な愛を連想するが、amourというこのフランス語には少し人間的な、肉感的なものを感じ取ってしまう。
 
肉体が関わると完璧なものはない。
とすると、神の愛ではなく、なおかつ精神的な男女の愛の形とは?
 
例えば「始まらない愛」こそが完璧な形を保つのだと思う。
始まると傷つくし傷つけるし、歪むし、型にはめようとするし、いつも不完全で壊れたものとしての愛に変貌していく。生きているってことは不完全ないびつなモノとして関係を結んでいくしかないのだから。
 
始まらない、だけど愛している。それは妄想で自己中心的な愛なのかもしれない。
 
蚤の市のような雑貨屋さんでふと手にしたシルバーのリングに刻んであった仏語で、なんだそんなものあるわけないじゃないかと思いながら、ありもしない観念としてのAmourを新しい指輪にも刻んでみた。
 
はめる指はもちろん薬指などではない。何年も何十年も、永遠に涼しい薬指の隣で理想の愛を主張している安物の指輪が好きだ。