無痛

久坂部羊著『無痛』を読んだ。作者は大阪大学医学部卒業の現役の医師でもある。「無痛」の男が出てくる。「無痛」とはどういうことなのか。

 

痛いのは誰だって嫌である。私は痛みには強い方だと思うが、それでもすぐに鎮痛剤を服用してしまう。

この世から「痛み」がなくなったら、それは素晴らしいことではないか、と考えた登場人物の医師(大きな個人病院の院長)は、「無痛」の男を治療という名の実験材料にしてしまう。研究の動機は純粋に医師としての良心であっただろう。

患者の「痛み」を取り除きたいと考えるのは医療従事者ならずとも共感するところである。

 

ところが、「無痛」ということは考えてみると恐ろしい現象なのである。

「痛み」を感じなかったら、熱い物に触っても対象物が危険だと察知することができない。誰でも「あつっ」と驚いてヤカンから手を引っ込めた経験はあるだろう。あれが熱い、痛いという感覚がなければ大変な火傷を負ってしまう。「痛み」の感覚が理解できなかったら、危険を回避することができず、生命を脅かされるような事態を招くということだ。

 

感じたことのない感覚には想像力は及ばない。

 

これは随分とオソロシイことではないか。

「痛み」は辛いものだけれど、それを知らなければ相手の痛みを想像することも、自分自身の生命を守ることもできない。

 

逆に言えば、少しでも「痛み」を感じることができるならば、経験したことのない甚大な、あるいは別の種類の「痛み」、他人の「痛み」も想像できるということである。

 

生命とはなんと不思議なもの、イキモノとはなんと哀しくいとおしいものだろう。

 

私もこの「痛み」を抱いて生きていこうと思う。