幼子のように。

父が私の携帯に何度も何度も着信を残している。留守番電話は無言。何があったのか心配でたまらず私も何度も家に電話をする。

すれ違う。

やっと通じたと思えば、今かなたの家に来ているのだが鍵がないのだと言う。今から帰るのだが鍵がかけられないと言う。

お父ちゃん、来ているのではないよ。もう何年も一緒に住んでいるんだよ。
帰るのではないよ、母の病院に行くんだよ。

その言葉を飲み込んで、大丈夫、かなたの妹が持っているから心配しないで。と答える。

強くて傲慢で、経済的な才覚があって色男だった父が、頼りなく、自信がなく、何度も何度も電話を鳴らす。

剪定鋏を無くしたから買ってきてほしいと言う。
かなたが買ってきてくれないなら自分で自転車で買いに行く。

わかったわかった。買いに行きます。と答える。

仕事に出ている間に知らぬうちに、一人で庭の草を綺麗に抜いて、剪定鋏を見つけたと言う。

よかった。

父の中では何も変わらず時間が流れているのだと思う。何も変わらず。


たまに会う他の兄弟は病院にかかった方がよいとか服薬するように心配する。変なこと言うししつこいから。忘れっぽいし。

だけどずっと一緒に時を過ごしていると、父の物忘れも変な執着も、なんだか自然なことのように思えてくるのだ。

子どもの成長と違って親の老化は楽しい話ではないだろう。しかし緩やかに劣化していく父や母に間近でつきあっていると、悲しさや衝撃も緩やかにやってくる。
父の変化も老化も受け入れられるような気がしてくる。
ただ一人でそれを受け止めるのはつらく寂しくて耐えきれない時もある。

今は一日一日を大切にすごしていこう。