悲しくて暗くて不思議だけれど少し温かな

仕事が立て込んでいるので、しばし休憩しながら。(勤務時間は終わっています)

この間からこのblogに書きとめておこうと思っていたハナシがありまして。最近悲しいことに親類の自死に遭遇しました。その件はまた書ければ書こうと思います。

 

そのことをきっかけに思い出した、もう一件の親類の自死にまつわるおはなし。

妹と私が高校生で、親元を離れて下宿していた頃のこと。私たちの定期試験の期間なので、食事などの世話をするために母が田舎からその街に出てきてくれた時なのでよく覚えています。

母は私たちの暮らす家に着いてすぐ、父から驚くべき知らせを電話で受けます。

父の姉の夫(義理の兄、私にとっては伯父)がその日に自殺したというのです。

私たちの従兄弟が、探していたその伯父を倉庫で発見したときはもう亡くなっていたそうで、父親を一人で下に下ろしたと聞いて、心底寂しく恐ろしく思ったものです。

何か深く悩んでいたのと糖尿病があり、鬱傾向にあったとのことでした。

気性の激しい父の姉は、亡くなる前日激しい口論になったということで、亡くなった後成仏しているだろうかと後悔が大きかったと聞きます。

 

不思議なことはここからです。

母はその日の早朝、列車に乗るために伯父の家の前を通って来たのですが、おかしなことに電気がぼんやりと外から見えた。

ああおにいさんはもう起きておられる、と思ったというのです。

 

母が家の前を通りかかったのが朝の五時、伯父はその時既に倉庫で亡くなっていた時間です。家族がおかしいと思って探したのが朝の七時以降で、五時に部屋の電気を点けた者は誰もいなかった。

しかも伯父が起きているのだなあと思ったというその部屋は道からは見えない位置にあり、部屋に蛍光灯がともっているのは普段でも外からは見えないのでした。

 

父の姉というのは父にとって腹違いの姉で、とても綺麗なおばあさんが母親でした。養子だった父の父(私の祖父)は農作業ができないその人と別れさせられて、屈強でへこたれない私の祖母と再婚しました。父の姉は当時の田舎町では目立つほどの美人で、そんな家庭環境もあり?随分奔放な人だったようで、亡くなったその伯父は三人目の結婚相手でした。

 

伯母の七歳年下の伯父は、とても気っ風のいい、かっこいい人でした。

母がお見合いで父と結婚してその田舎町に汽車で降り立った時(祖母や祖父、婚礼のための髪結いさんと一緒に)見たこともないような外車から、ちょっとカタギに見えない様相の伯父が降りて来て

「私は××(父の名前)の兄貴でございます」

 

と挨拶をしたそうです。母は父に姉や兄がいるとは聞いていなかったため、「兄貴」というのは、ヤクザさんの世界のように血は繋がっていないけれど杯を交わした仲というのかと思ったと言います。実際血は繋がっていなかったけれど、普通の義理の兄だったというわけですが。

 

母はこの田舎町の親戚や親戚もどきや近所の人やその屈強な祖母や婚期を逃した小姑や農作業と仕事と父の浮気癖と大変苦労して、何度も実家に帰ろうと思ったそうです。

その中でこの伯父夫婦は小さなキャバレーを営んでおり、「キエよ(母の名前)××に少しは着物でも買ってもらえ」と言ってくれたり、夜呼んでご飯を作ってくれたりして貧しいけれど優しくてよくしてもらったそうです。伯母は美人だけれど母性に欠け、気が強くて、母は見た目は貧相ですが、気が優しく子ども大好きで子ども命のような人間で、その気立ての良さを伯父はいつも誉めてくれていたそうです。

 

私たちが小学生の時にはもう随分派手な生活をしていて、幼稚園の帰りや買い物の帰りに家に寄らせてもらうと明るくて立派な家で、いつもお客さんが来ていて、美味しいお菓子を食べさせてくれて、伯母さんは豪華なペルシャ猫のように太っていて綺麗な指でお茶を淹れてくれていました。うちが水害に遭った時も一ヶ月も、一家六人の晩ご飯を食べさせてくれました。

 

そんな伯父が、「キエよ、また子どものところに行ってやるんか。ほんまに子どもが可愛いんじゃのう。それがキエのええところじゃの。」と言って最後のさよならを母に言ってくれたのかもしれない。

 

非科学的なことは余り言わない母ですが、その灯りの不思議を怖がりもせず、しみじみと伯父を偲んでいました。

 

伯父が天国に行っていることを祈ります。