夏の始まり

夏の始まりはベッドにいた。悪いことばかりを考えて、一人世紀末の感慨と感傷で満載だった。

 

人生ここで終わりか。と思った時走馬燈のように今までの人生が。

 

駆け巡らないんですけどっ。どういうこと?

 

ドラマでは主人公が人生の起承転結ー幼い頃の幸福な風景から泣き笑いあれこれさまざま?多くの場面を死ぬ間際に思い出すシーンが定番ではないか。

 

何も浮かんで来ない。どういうこと?

思い出せるのは最近の邂逅ばかり。

ここ最近の出来事がドラマティックすぎたということも一因かもしれない。

ここ一年は一人世紀末の一年で、最期かもと思うと後悔のない一年間であった。

大事な人には、入院することを伝え、お別れかもしれないことを伝え、会える人には会えた。

こうやって日々の積み重なりで人生は出来ているのだなと思った。大きなドラマではなく、小さな人と人とのつながりややりとり、そこに喜びがあるのだなと思った。

 

生きてることだけで素晴らしい。

 

 

 

幼子のように。

父が私の携帯に何度も何度も着信を残している。留守番電話は無言。何があったのか心配でたまらず私も何度も家に電話をする。

すれ違う。

やっと通じたと思えば、今かなたの家に来ているのだが鍵がないのだと言う。今から帰るのだが鍵がかけられないと言う。

お父ちゃん、来ているのではないよ。もう何年も一緒に住んでいるんだよ。
帰るのではないよ、母の病院に行くんだよ。

その言葉を飲み込んで、大丈夫、かなたの妹が持っているから心配しないで。と答える。

強くて傲慢で、経済的な才覚があって色男だった父が、頼りなく、自信がなく、何度も何度も電話を鳴らす。

剪定鋏を無くしたから買ってきてほしいと言う。
かなたが買ってきてくれないなら自分で自転車で買いに行く。

わかったわかった。買いに行きます。と答える。

仕事に出ている間に知らぬうちに、一人で庭の草を綺麗に抜いて、剪定鋏を見つけたと言う。

よかった。

父の中では何も変わらず時間が流れているのだと思う。何も変わらず。


たまに会う他の兄弟は病院にかかった方がよいとか服薬するように心配する。変なこと言うししつこいから。忘れっぽいし。

だけどずっと一緒に時を過ごしていると、父の物忘れも変な執着も、なんだか自然なことのように思えてくるのだ。

子どもの成長と違って親の老化は楽しい話ではないだろう。しかし緩やかに劣化していく父や母に間近でつきあっていると、悲しさや衝撃も緩やかにやってくる。
父の変化も老化も受け入れられるような気がしてくる。
ただ一人でそれを受け止めるのはつらく寂しくて耐えきれない時もある。

今は一日一日を大切にすごしていこう。

Parfait Amour

完全な愛。完璧な愛。

そんなものはこの世界に存在するわけはない。それがわかっているからこそ、人は求めるのかもしれない。
私も何処かに存在する完璧な愛を求めて、さまよい続けてきたのかもしれない。完璧な愛と言うと基督的な愛を連想するが、amourというこのフランス語には少し人間的な、肉感的なものを感じ取ってしまう。
 
肉体が関わると完璧なものはない。
とすると、神の愛ではなく、なおかつ精神的な男女の愛の形とは?
 
例えば「始まらない愛」こそが完璧な形を保つのだと思う。
始まると傷つくし傷つけるし、歪むし、型にはめようとするし、いつも不完全で壊れたものとしての愛に変貌していく。生きているってことは不完全ないびつなモノとして関係を結んでいくしかないのだから。
 
始まらない、だけど愛している。それは妄想で自己中心的な愛なのかもしれない。
 
蚤の市のような雑貨屋さんでふと手にしたシルバーのリングに刻んであった仏語で、なんだそんなものあるわけないじゃないかと思いながら、ありもしない観念としてのAmourを新しい指輪にも刻んでみた。
 
はめる指はもちろん薬指などではない。何年も何十年も、永遠に涼しい薬指の隣で理想の愛を主張している安物の指輪が好きだ。

小説家になったのかな、彼女

地方の文学賞の審査員、高橋のぶ子なんですよね。昔の友達で高橋のぶ子が好きで小説家目指してるっていう人がいたなあ。
高橋のぶ子、当時は私は三島とか漱石だったので魅力がわからなかったけど今は好きな作家の一人です。
たまに幻惑的な場面があってその際どさがいいと思う。

最近ゆっくり小説を読んでいないな。興味あるのは仮面病棟という医療ミステリー?仮面も病棟も小説的な素材です。

私はよく病院に入院していた時があり、ドラマとは程遠いぎりぎりで生きている境の臭いみたいなものを嗅いでいました。
今は元気で働けて、あの頃からしたら今が夢のように不思議な感じです。

昔を思い出すとあの頃のことは夢のよう、というのはよくあるけれど、今コノトキがあの頃からしたら夢のよう、思いもしなかった未来というのも稀有な幸福なのだと思う。
こんなフツウの未来があるのなら、時に苦しいことも乗り越えられる勇気が沸いてくる嬉しい計算外。
逆のこともあるのだし一瞬一瞬を、特に人に対する接し方は大切にしていこうと今日の青空に誓うのであった。

バンパイア

バンパイアと言えば漫画好きな私にとっては『ポーの一族』であるのである。

 

美少年エドガーがバンパイアとなって永遠の時を生きる。美しいけれど禍々しい存在、「狩られる」存在としてのバンパイア。

 

運命に翻弄され、それに従うしかない「人間」の悲しみ(人間の業が招いたような自業自得の運命も含めて)が描かれているという点では『源氏物語』に通じる名作であると言っては過言なのは承知であるが、エドガーの悲哀と孤独は心打つものがある。

 

最近映画やテレビでバンパイアものをしばしば見かけるのであるが、異類のものというのはどこかに痛みや悲しみがつきまとうものなのだと思う。

 

最近のバンパイアものについては、また今度。(R18ものでした)

 

ちなみに萩尾望都様は『ポーの一族』の続編を発表されるとのこと。これは読むしかない!!『トーマの心臓』も名作である。

悲しくて暗くて不思議だけれど少し温かな

仕事が立て込んでいるので、しばし休憩しながら。(勤務時間は終わっています)

この間からこのblogに書きとめておこうと思っていたハナシがありまして。最近悲しいことに親類の自死に遭遇しました。その件はまた書ければ書こうと思います。

 

そのことをきっかけに思い出した、もう一件の親類の自死にまつわるおはなし。

妹と私が高校生で、親元を離れて下宿していた頃のこと。私たちの定期試験の期間なので、食事などの世話をするために母が田舎からその街に出てきてくれた時なのでよく覚えています。

母は私たちの暮らす家に着いてすぐ、父から驚くべき知らせを電話で受けます。

父の姉の夫(義理の兄、私にとっては伯父)がその日に自殺したというのです。

私たちの従兄弟が、探していたその伯父を倉庫で発見したときはもう亡くなっていたそうで、父親を一人で下に下ろしたと聞いて、心底寂しく恐ろしく思ったものです。

何か深く悩んでいたのと糖尿病があり、鬱傾向にあったとのことでした。

気性の激しい父の姉は、亡くなる前日激しい口論になったということで、亡くなった後成仏しているだろうかと後悔が大きかったと聞きます。

 

不思議なことはここからです。

母はその日の早朝、列車に乗るために伯父の家の前を通って来たのですが、おかしなことに電気がぼんやりと外から見えた。

ああおにいさんはもう起きておられる、と思ったというのです。

 

母が家の前を通りかかったのが朝の五時、伯父はその時既に倉庫で亡くなっていた時間です。家族がおかしいと思って探したのが朝の七時以降で、五時に部屋の電気を点けた者は誰もいなかった。

しかも伯父が起きているのだなあと思ったというその部屋は道からは見えない位置にあり、部屋に蛍光灯がともっているのは普段でも外からは見えないのでした。

 

父の姉というのは父にとって腹違いの姉で、とても綺麗なおばあさんが母親でした。養子だった父の父(私の祖父)は農作業ができないその人と別れさせられて、屈強でへこたれない私の祖母と再婚しました。父の姉は当時の田舎町では目立つほどの美人で、そんな家庭環境もあり?随分奔放な人だったようで、亡くなったその伯父は三人目の結婚相手でした。

 

伯母の七歳年下の伯父は、とても気っ風のいい、かっこいい人でした。

母がお見合いで父と結婚してその田舎町に汽車で降り立った時(祖母や祖父、婚礼のための髪結いさんと一緒に)見たこともないような外車から、ちょっとカタギに見えない様相の伯父が降りて来て

「私は××(父の名前)の兄貴でございます」

 

と挨拶をしたそうです。母は父に姉や兄がいるとは聞いていなかったため、「兄貴」というのは、ヤクザさんの世界のように血は繋がっていないけれど杯を交わした仲というのかと思ったと言います。実際血は繋がっていなかったけれど、普通の義理の兄だったというわけですが。

 

母はこの田舎町の親戚や親戚もどきや近所の人やその屈強な祖母や婚期を逃した小姑や農作業と仕事と父の浮気癖と大変苦労して、何度も実家に帰ろうと思ったそうです。

その中でこの伯父夫婦は小さなキャバレーを営んでおり、「キエよ(母の名前)××に少しは着物でも買ってもらえ」と言ってくれたり、夜呼んでご飯を作ってくれたりして貧しいけれど優しくてよくしてもらったそうです。伯母は美人だけれど母性に欠け、気が強くて、母は見た目は貧相ですが、気が優しく子ども大好きで子ども命のような人間で、その気立ての良さを伯父はいつも誉めてくれていたそうです。

 

私たちが小学生の時にはもう随分派手な生活をしていて、幼稚園の帰りや買い物の帰りに家に寄らせてもらうと明るくて立派な家で、いつもお客さんが来ていて、美味しいお菓子を食べさせてくれて、伯母さんは豪華なペルシャ猫のように太っていて綺麗な指でお茶を淹れてくれていました。うちが水害に遭った時も一ヶ月も、一家六人の晩ご飯を食べさせてくれました。

 

そんな伯父が、「キエよ、また子どものところに行ってやるんか。ほんまに子どもが可愛いんじゃのう。それがキエのええところじゃの。」と言って最後のさよならを母に言ってくれたのかもしれない。

 

非科学的なことは余り言わない母ですが、その灯りの不思議を怖がりもせず、しみじみと伯父を偲んでいました。

 

伯父が天国に行っていることを祈ります。

 

ひとめぼれ

とても若いころは、異性の外見に惑わされていたものだった。なんせ、中学生では、DavidSylvianだの王道のDavidBowieだのが、音楽性関係なく外見で好きだったのだから軽薄なのだ。

そんな私も大学院生の時、知り合いの影響で市民運動フェミニストムーブメントに首をつっこむようになり、あまり深い考えもなく、勃発した戦争反対の座り込みに参加したときのこと。

アーミーぽいコート(のちに織田裕二が刑事の役で着ていたような)に膝の破れたジーンズの大学生風の男性が、回ってきたマイク(参加者が順番に何か戦争反対の意見を道行く人に向かって述べていた。)で、仕方なくといった風に訥々と話し始めた。

「アメリカに協力して、日本は戦争のための資金を提供すると言っている。そのために消費税が上がるという噂もある。たばこも値上がりするという。そんなことに税金が使われるは嫌だし、高いたばこを吸うのは嫌だからたばこをやめようかとも思ったりもする。かといって、そんなことのためにたばこをやめるのも腹立つなあと思って、座り込みに参加しました。」

 

何を言っているのか、このオトコの人は。とその話しぶりにいらだったというか、はじめは本当になにを言おうとしているのかわからなかった。

ほかの人は「正義の戦争は無い!」とか、「ヒロシマから平和の発信をしよう!」とか「子どもや女性が犠牲になっている。」とか、「いつも苦しむのは民衆だ!」とかアジテーション気味にボルテージは上がって平和と正義のアピールをされていた。宗教家(キリスト教の神父や牧師、シスター、寺院のお坊さん)大学の教授、学生、主婦などいろいろな思想信条立場、老若男女が参加していた。

なのに、この人は自分のたばこの値上がりの話をしている、、、。なんなのだろう?と思ったが、なぜかその語り口は親しみが持てて、その変な学生風の人に興味を持った。

風貌は目がくりっとして眼鏡をかけて、私には「山口智子似」と見えたのだが、外見ではなくその人のコトバに、出会ってすぐに心魅かれたのはこの彼が初めてだった。

 

実はサヨクの最後の後継者のような、信念のある人だったのだが、このように人を煙に巻くようなソフトで不思議な話し方の人には今もって魅かれるものがある。

コトバをぶつけない、相手に考えさせる優しさやユーモアやゆるさが保てる人は本当の大人だと思うし尊敬する。

私自身はまっすぐ過ぎて時に人を傷つけてしまう鋭いコトバも使ってしまうので、わけのわからない論法と柔らかなコトバで人を惹きつけ、なおかつ自分を主張できる人には憧れる。